13th
少々長いですが宮崎駿さんのコメントを紹介します。宮崎ワールドの奥深いところが理解できると思います。
当時のイギリスは、第二次世界大戦が終わり、冷戦が始まろうとしているときです。第三次世界大戦が始まるんじゃないか、原爆の戦争が始まるんじゃないかという恐怖、と同時に、恐ろしい勢いでふくらもうとするソ連があって、世界中がソ連型の共産主義になったら大変だ、という危機感が強かった。
ジョージ・オーウェルはまさにそれを考えて、『動物農場』や『一九八四年』という作品を書いたんですよね。それは、ハラス&バチュラーも同じ気持ちだったと思います。ハラスはハンガリー出身のユダヤ人ですから、推測するに、ハンガリーからイギリスへ亡命した人でしょう。自分たちの祖国は、戦時中はナチスドイツの、戦後はソ連の支配下にあった。まさに『動物農場』で描かれているような、独裁者が君臨している全体主義的な世界にリアリティがあったんです。彼自身にとって、ものすごく今日性のあるテーマだった。だからこそ、この映画をつくろうと思ったと思うんです。口ではうまいことを言いながら、まじめな人間たちをこき使って、自分は権力の上にあぐらをかいている、そういう人間の醜さをえぐり出したいと思ったんでしょう。
だけど、搾取とか収奪というのは、なにも共産主義だけにあるんじゃなくて、資本主義はまさにそういう「しくみ」です。ぼくは会社というのは、誰よりもそこで生活しながら仕事している人間たちの共有の財産だと思っています。でも、それは社会主義的な考え方なんですね。いま、主流になっている考え方というのは、私有財産として株をもっている人間のほうに発言権があって、株主たちが「この経営者はダメだ。もっと儲ける経営者を選べ」といったら、経営者はどんどん変わらなきゃいけないとか、そういうアメリカ型の資本主義です。それを進めていくと、リストラをして正社員を減らして、派遣社員やアルバイトだらけにして、労働基準法のギリギリまでこき使ってポイッと捨てる。正社員は正社員でくたくたになって働いてる。いくらでも替わりはいるんだという、いまのしくみこそ、「動物農場」と同じです。
これがこの世のなかのしくみだというのは、ある時代までは常識だったんです。だけど、いつのまにか、みんなそれを忘れてしまってたんです。みんなが中産階級だと思いこむことによって、搾取の構造というのは見えなくなっていた。と同時に、戦後の日本の経済成長のなかでは、経営者も必死に働かないといけなかったし、日本は累進課税で、トップと末端の所得格差が少ない国だったんですよ。バブルの前までは、そういう社会が一時あったんです。だから支配や搾取の構造には、リアリティが薄くなっていたんですよ。少しは平等感のある社会になってきたと思ったら、バブルで足をすくわれて全部崩れた。終身雇用制もあっというまに捨てたし、年功序列も捨てた。そして能率給だとか、目標設定するとかってやりはじめた。能率給なんかにしたら、神経症になるだけだと思いますけどね。ふつう才能があるのなら、損得はあとまわしで力をつくして仕事をするのは当然で、金のために仕事するなって。いや、金のために働かなきゃいけないんだけど、そういう考え方は自分を貶めることになりますから。まあ、いろんな考えがありますが、ぼくたちは「仕事は人生の伴侶だ」ということでやるものと思い、そうしてきました。







